我が家とお金にまつわる話

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明日から4月。新学期・新年度の始まりで、学校や職場には新入生や新人が入ってくる時期です。

うちの職場でも、前年度の打ち上げと兼ねた新人歓迎会が予定されています。

さて、去年の5月に旧アドレスで書いた投稿が私のプロフィールをよく表していると思いますので、当時の記述そのままで再掲します。

かなり、個人的なことを赤裸々に書いています。

(以下、再掲です)

ようやく「プロフェッショナル 仕事の流儀」(時代にあらがう、信念の金融 ファンドマネージャー・新井和宏)を観ました。

予想とは少し違って、ファンド運用というよりも番組タイトル通り「金融」のあるべき姿にスポットが当てられている内容でしたが、これはこれで非常に見応えのある内容でした。

そして、今回の登場人物の「新井和宏」氏の生い立ちと自分のそれが少し重なるところがあったので、個人的な話ですが、宜しければご覧ください。 (少し長いです)
まずは番組の内容紹介かたがた新井氏の生い立ちから。

<新井氏の生い立ち>

畳職人だった新井氏のお父さんは、小さい頃に丁稚奉公に出されたため、小学校にも通っていないそうです。
その分、学ぶ機会と愛情を新井氏に注いでくれたそうです。
しかし、小学5年生の時にお父さんがバイクに乗っている時、トラックに引き込まれました。ひき逃げです。幸い命は助かりましたが、事故の影響で畳は縫うことができなくなりました。

一方、母親も生れつきの小児まひで働くことができません。

このため、目指していた横浜国立大学教育学部附属中学校への進学は諦め、中学のときは父親の代わりに畳の運搬などを手伝い、高校生からアルバイトを始め、大学は東京理科大学の夜間部に進学します。

その新井氏が就職先に選んだのが住友信託銀行です。

「給料が高い」ことが選択理由のひとつだった様です。

そして、30代前半で、先輩が転職した外資系運用会社「バークレイズ・グローバル・インベスターズ」(以下「BGI」)に転職(ここで、鎌倉投信の創業メンバー3人と出会います)。

BGIでは「投資は科学」という哲学があり、理系出身の新井氏は最新の金融工学を必死に学びながら、約10兆円もの資産を運用していました。

しかし、ちょっとしたミスで何百億円のロスが発生する仕事が心と体を知らず知らずの間に蝕み、家族とのオーストラリアへの旅行中の機内で倒れるという事態に。掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)という難病にかかってしまったのです。

奥様の強い希望もありBGIを辞め、その後、志を同じくする者で鎌倉投信を創業し現在に至るというわけです。

<私の生い立ち>

・有名ファンドマネージャーでもなんでもない、しがないサラリーマンのブロガーの生い立ちを知っても得るところはないでしょうが、少々、お付き合いください。
・私の両親は九州出身です。父は中学を出た後で経理の専門学校卒、母は地元の高校卒です。二人とも、学校の頃は「級長」という今で言えば学級委員をしていました。 昔、級長と言えば「成績の良い人」が選ばれていたそうです。二人とも頭は悪くなかったということです。
・でも、たくさん兄弟がいて学校に行くお金もない父は専門学校まで。母も高校の時、担任の先生から教職(育英会の奨学金の返済が免除される)を勧められましたが決心がつかず、結局大学受験は見送り普通高校まででした(もっとも、当時の女性の学歴としてはごく普通ですが)。

・仕事のない九州から関西に出てきた両親のもとで、私は生まれました。男三人兄弟の長男です。

・学歴も特殊技能もない父は薄給でした。ただでさえ、生活は母のやりくりでなんとかだったのですが、私が小学生の頃、勤め先の親会社の方針により、事業所が廃止になり暫く無職になりました。母が言うには再就職活動はあまり熱心でなかったようで、約1年間無職でした。この間、母方の祖父・祖母の経済的な支援でなんとかやっていたそうです。

・また、私が中学生の頃には、新井氏同様、父もバイクに乗っている時、交通事故に巻き込まれました。車線を逆走してくる車に衝突され、暫く意識不明。相手は即死。幸い、父は大事に至らずでしたが、病院を退院後は仕事に行かず家でダラダラ過ごす日々が続きました。

・中学生という多感な時期でしたので、私もぐれても少しもおかしくなかったと思います。実際、校風に関して評判の悪い小学校の高学年時代に「ふかし」タバコを吸ったりしていて、母は当時の担任の先生から「将来が心配です」と言われていたそうです。小学校・中学校とも「悪」の面ではトップ校であり、環境は非常に悪かった中で、ギリギリのところで横道に反れず踏み止まったのは、きっと弟二人の存在があったからだと思います。長男の私がぐれてしまったら、弟も右に倣えでしょうから。

・その後、高校までは公立で過ごし、大学は私学に進学しました。お金は1年目の学費まではなんとか親に出してもらいました(貯金はこれで枯渇したと思います)。2年目以降は日本育英会の奨学金と民間の奨学金(返済不要)でやり繰りしました(入学前、不足分はアルバイトで賄う算段でしたが、大学1年の時の成績が良かったため2年目以降は予定外の奨学金がもらえ、海外旅行にも行くことができました)。

<生い立ちの影響を受けた私のお金に対する考え方>

・私の小学校の卒業文集には「大人になったら、お金持ちになりたい」という趣旨のことを書いています。子供心にも、お金には不自由な思いは二度としたくないと感じていたのでしょう(きっと、新井氏も同じ気持ちだったと思います)。
・就職先は、新井氏の様に「給料が高いこと」は優先順位として必ずしも高くなかったのですが、結果的には世間水準に比べると恵まれたサラリーをいただけるところに就職でき、現在に至るまでずっと同じところで働いています。

・常に収入の範囲で生活して、残りは常に投資する。これを20年以上続けています。おかげさまで、親の時代とは異なりお金の面では特段苦労ない生活を送ることができています。

・でも、貧乏性なんでしょうか、衣服はいつもユニクロですし、パッケージ旅行でないと1泊何万円もするようなホテルにはなかなか泊まることができません。

・一方で、子供の頃「モノ」に飢えていたせいでしょうか、本やCD、DVDに関しては「集める」習性があり、いつも妻に怒られています(笑)。

・ちなみに、私の子供たちに対するお金に関する方針は、やや厳しめです。妻と相談して決めたお小遣いは世間の水準よりも明らかに少ないと思います。でも、小遣い以外には何も買ってあげないわけではないので、子供たちからの引き上げ要求もありません(自分の時は、家庭の状況もわきまえず、もっとほしいとおねだりしていましたが)。母は「孫たちはお父さん(私)の時と違って、本当に何もかも恵まれ過ぎ」といつも言います。実際、中学生の長男は私との男旅含め、既に3度も海外旅行を経験済みです(私は大学3年になって初めて飛行機に乗ったんですけど)。

・以上、長々と取り留めの無いことを書きましたが、京都に家族旅行に行ったとか、新しいオーディオを買ったとか、羽振りのよいことを書いていますが、昔は貧乏(赤貧とまでは言いませんが)で、私も親も苦労した時代があったということを「少し」お伝えしたかったのです。親が生きている今しか、親孝行できませんので、京都ではお金もたくさん使いました。(ちなみに、親にとっては年金生活の今が一番経済的に楽だそうです。)

・このブログをお読みの方の中にも、毎日歯をくいしばって生活している人がいると思いますが、将来を悲観せず、その経験を糧にして頑張ってください。幸運をお祈りします。

・なお、今朝実家に電話したら「プロフェッショナル 仕事の流儀」は母のお気に入りの番組だそうで、新井氏は「過去の生い立ちがあるから、今があるんやろうねぇ」と言っていました。

I hope you like it.

プロフィール
管理人プロフィール 名前 エル。ハンドル名です。 年齢 アラフィフ 性別 男 家族構成 妻と子供二人。専業主婦だった妻は能力...