つばめ投資顧問の「顧問」に就任

「3.11」に思うこと

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東日本大震災からちょうど7年が経過しました。

2011.3.11のあの日

私は東京の本社で勤務していました。

多くの方が経験した「帰宅難民」となりました。

東北ほどではないにせよ、震度「5」は強烈で、高層階にいた私たちは、突然襲った揺れに驚くばかり。

電車も止まり、3/11の夜は結局一睡もすることなく、オフィスのPCで朝が来るまで夜通し情報収集しました。

普段は殆ど見ないテレビを情報収拾のため見ると、この世のものとは思えない悲惨な映像・シーンが映しだされていました。

当時、まだ小さかった次男には、ショックが強い映像なので、ハラハラしたのを覚えています。

投資に関しては、詳しくは覚えていませんが、その瞬間は何もせず(何も出来なかったというのが正しいかも)、急激な日本株の下げと円高が日本経済に追い打ちをかけました。

改めて分散投資や現預金もいざという時にすぐに用意できる体制の構築の必要性を考えたものです。(後者は今も対策が不十分なので、再度考えねば)

そして、震災後、少し落ち着いた時、マンション投資を検討しました。

いわゆる「安定収入」を確保する目的です。

妻の意向の影響も相当程度受けたものでしたが、2012年に一旦は契約するところまで手続を進めました。

でも、結局は「手付金」を放棄して、契約を解除しました。

理由は複数ありますが、震災国日本において、自宅に加えさらに「不動産を保有する」リスクを取ることが出来なかった、というのが最大の理由です。

2012年の不動産投資の「大失敗」を記録する
かなり個人的なこと、かつ、失敗談なのでブログに書くか書くまいか少し迷ったのですが、個人的な記録としての意味と同じ様なことを検討している方への参考として、敢えて公開したいと思います。(旧ブログで書いた記事の再紹介)読んだ方からは、「なんてバカ...

7年が経過し、ご承知の通り、東京の都心部の不動産価格は相当高騰していますが、後悔は全くありません(その分、米国株式等に資金が回っています)。

むしろ、7年が経過し、震災リスクに対する防御の意識が薄れつつある今、「あの時」のことを思い返したいと思います。

そして、何よりも大事なことがあります。

人間はいつ死ぬかわからない。死ぬ時は突然訪れることもある。

悔いのない人生を送りたいと思います。

I hope you like it.

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雑感雑記
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この記事を書いた人
エル

50代、4人家族。1991年株式投資を開始。リーマンショックの影響により過去最高の含み損を抱えるも、2009年末に復元。2011年レバレッジ投資(両建て投資)終了。2019年セミリタイア。現在は米国株を中心に運用中。趣味は読書で「積ん読」は数百冊を誇る。音楽や映画鑑賞も好きです。

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